引札
「引札」という名称の由来は、「客を引く札」「敷く(配る)札」といわれ、現在の広告チラシの原形にあたります。
商人が宣伝文を記した紙を配るという手法は、江戸の前期まで遡ることができますが、色鮮やかな絵柄を全面にあしらった引札が大量に発行されるようになるのは、明治末期から大正初期になってからです。
『大阪印刷百年史』によれば、明治末期、商都・大阪では1000万枚を超える引札が発行されていたそうです。その存在は当時の大衆文化の一翼を担っていたといっても過言ではありません。
引札の最盛期にあたる明治・大正期は、産業構造の変化や先端技術の導入など、社会そのものが大きく変容した時代でした。当然のことながら引札も、技術と表現の両面で江戸時代とは異なる姿に移り変わっていきます。
まず技術面では、従来の木版印刷に代わって石版印刷が導入され、本格的な量産体制が整備されました。また製紙の分野においても、和紙から洋紙への転換が計られ、石版多色刷の体制を底辺で支えていきます。
こうした技術転換をうけて、表現面でもさまざまな試みが実践されていきます。最新のモードに身を包んだ美人像や蒸気機関車などの近代的なモチーフ、あるいはカレンダーや郵便料金表などの実用的な情報を付加したものなど、さまざまなバリエーションが考案されていきます。
昭和になると、引札は西洋式の広告手法に圧されて徐々に衰退していきますが、現在でもその表現力は私たちには必要不可欠な存在です。
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