杉田エース

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マジック☆アイテム

春はファッションやメイクが楽しくなるシーズンですね♪
日本のメイクを年代毎に見てまいりましょう。


(縄文時代)
「魔よけ」として全身に赤の粘土や顔料を塗っていました。

赤い色は太陽や血液・燃えさかる炎など熱や生命力を感じさせる

パワーを持った色と考えられていました。


(飛鳥・奈良時代)
隋や唐の影響で、肌を白く見せる為白粉を使い唇を赤で塗り、

額と口元に飾りを付けていました。また虫歯予防にお歯黒がスタートしました。


(平安時代)
白粉を塗った顔に、眉毛を全部抜いて眉墨で描いた眉と、下唇だけに紅を差し、

マニキュアもするようになります。白檀などの香りを髪にしみこませました。

男性も女性と同じような化粧をしていました。


(鎌倉時代)
化粧は女性だけのものに戻り、あまり白粉を塗らない化粧法へと変化します。
眉化粧が貴族中心から一般的な化粧法となり、頬紅の使用が始まります。


(戦国時代)
武士は敵に首を取られても醜くない様眉墨を引き、白粉を塗ったようです。

後期は自然な自分の眉に戻り、白粉に紅色を混ぜた

ナチュラルに見える白粉が生まれました。


(江戸時代)
中期になると歌舞伎役者や遊女達の影響で、庶民も化粧をする様になります。

薄青色を混ぜ顔を立体的に見せたり、ペディキュアも流行ました。

京都・大坂の化粧は濃く、江戸は薄く素顔も多かったようです。

ぬか袋や生薬類でのスキンケアの普及により普段は素顔で過ごせました。


(近代)
控えめな化粧や香り、白い肌が好まれました。

1955年頃ファンデーションの発売で、世界共通の化粧方法がスタートしました。


(現在)
お洒落だけでなく、医療の現場ではリハビリを必要とする女性が、

化粧により心身共に元気になって行くという成果が出ています。

 


化粧はどの時代も皆を元気にする魔法だったのですね。
そんなマジックアイテムを沢山収納出来るのが、コチラ!

 

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